吉野ヶ里の石棺 そもそも 石棺ではない

今年はよー降るね、雨。

 

梅雨とは言え、こう年によって違いがあると、もう違う現象な気がします。

 

もっとグローバルな現象。

 

 

 

 

 

最近超話題の吉野ヶ里の石棺。

 

卑弥呼の墓、とか言ってたけどナンセンス。

色々あるけど、一言で言うとナンセンス。

 

古代が好きなのですみません。

 

 

 

はい。

 

まずもって。「卑弥呼の墓」というフレーズ。

 

おかしい。

 

 

 

卑弥呼の墓っていうのは、魏志倭人伝が言ったから(書いた)存在しているもの、で、言わなかったら無かったものだ。

 

仁徳天皇陵

 

自分が小学生の時に、世界一のお墓、って習った教科書にも載ってたお墓。

 

 

誰とは言いませんが、とある考古学者が、時期と規模で、こんな大きなお墓は仁徳でしょう。

 

で名付けられた、仁徳天皇陵

 

 

何も根拠が無いのです。

 

 

で今回のこれ。

吉野ケ里遺跡内で出てきたという物。

 

 

色々省くが、そもそも吉野ケ里遺跡は年代で西暦200年より前のはずだ。

 

でもこれは、卑弥呼と同じ年代らしい。

ホント都合よ。

 

 

自分には墓に見えんけどね。

 

この時期、九州にはそれなりのお墓、なんなら葬式の仕方が確立されてるのはだいぶ以前から証明されててるのに遡るようなことになってる。

 

こうでもしないとお金が産まれないのか知りませんが、酷いよね。

 

 

まず、お墓(お金)、とするからおかしくなる。

 

 

一言で片付きます。

 

 

 

小さいでしょ。

 

 

 

ただの物置だって。

 

もちろん、何を置いてたなんて誰にもわからない。

 

けどお墓じゃないでしょ。

 

 

それに、更に誰も言わない大正論。

 

一段低いとこにお墓作ったら雨で腐るでしょ!

 

大丈夫ですかね?日本の考古学。